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東京高等裁判所 昭和53年(う)2171号 判決 1979年2月08日

控訴人 弁護人

被告人 細川悟

弁護人 平沼高明

検察官 谷口好雄

主文

原判決を破棄する。

本件を浦和地方裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人平沼高明が提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事谷口好雄が提出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用し、これに対して、当裁判所は、次のとおり判断する。

控訴趣意第一点(1) について

所論は要するに、原判決は訴因変更の手続を経ないで起訴状の訴因と異る事実を認定したから原判決には審判の請求を受けない事件について判決した違法があるか、明らかに判決に影響を及ぼす訴訟手続の法令違反があるというのである。

そこで、一件記録を検討すると、本件は被告人が深夜降雨中を時速約五五キロメートルで普通乗用自動車を運転中、前方を十分注視しないで進行した過失により自車左前部を被害者甲斐幸夫(当時三〇年)に衝突させ、同人は同所で脳挫滅等の傷害により死亡した事案であるところ、右衝突時以降の状況につき、起訴状記載の訴因は「同人に自車左前部を衝突させてボンネツト上にはね上げたうえ路上に転落させ、転倒している右甲斐に気づかなかつた通行中の他の車両をして同人に衝突するに至らしめ、よつて同人に脳挫滅等の傷害を負わせて、そのころ同所において、同人を右傷害により死亡するに至らしめたものである。」というのであるが、原審は訴因変更の手続をとらないで右の点につき、「同人に自車左前部を衝突させてボンネツト上にはね上げたうえ路上に転落させ、よつて同人に脳挫滅等の傷害を負わせて、そのころ同所において、同人を右傷害により死亡するに至らしめたものである。」と認定判示したことが認められる。

右訴因として記載された事実と原判決認定事実を対比すると、被告人車が被害者に衝突し、被害者が死亡するに至る因果の過程において、訴因は被告人車の衝突の後、本件現場を通行中の他の車両(以下第二次車両という。)もまた被害者に衝突し、その結果、被害者が受傷、死亡したものとして被告人の過失責任を問うているのに対し、原判決は被告人車の衝突のみによつて被害者が受傷、死亡したものと認定判示したことが明らかである。

ところで、過失責任を問うために前提とされる結果発生の予見の可能性の中には、結果そのものゝほか、その発生に至る因果の系列をなしている事実も含まれると解せられるばかりでなく、結果発生に至る因果の過程に、第三者の行為が介在したかどうかは、過失責任の有無、軽重に差違を生じ、被告人について実質的な利益の消長を来し得るのであるから、因果の系列をなしている事実についても、訴因と認定事実との間に実質的な差違を生ずる場合には訴因の変更手続を要すると解せられるところ、現に原審における審理の経過をみると、検察官は冒頭陳述においてはもとより、論告においても本件は二重轢過事件であるとして意見を述べていること所論のとおりであり、その間原審裁判所あるいは検察官により原判決認定事実に副う釈明ないし示唆がなされた形跡は記録上全く窺われず、被告人側も終始、被害者が第二次車両による衝突という経緯を経て受傷、死亡したことを前提として防禦活動を展開してきたものであることが認められ、もし原判決認定事実が訴因とされたならば、被告人車の衝突のみによつて被害者の死亡という結果が発生したかどうか、衝突時の被害者の体位、第二次車両による衝突の有無、程度、ひいては被告人の過失責任の存否、軽重などの点につき、被告人の防禦の範囲、主張立証における重点の置き方などが自ら相違したであろうことが容易に推認されるところであるから、原判決の事実認定は被告人にとつて十分な防禦の機会を与えられないままなされた不意打のものであつたと解せられ、原判決のように認定するためには、被告人の防禦に実質的不利益を与えないように、訴因変更手続を経なければならなかつたといわなくてはならない。そうすると、原審が訴因変更を要するのに右手続を経ることなく、起訴状の訴因とは異る原判決のような認定をしたのは、結局訴訟手続に法令の違反があつてその違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は、破棄を免れない。

よつて、その余の諭旨に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄することとし、なお本件について、原判決のように訴因変更を要するか否かをきわめるには、原審証人古屋義人(被害者の死体解剖にあたつた鑑定人医師)が「被害者の致命傷が最初の衝突で生じたものかどうかなどについて適確な判定を下すためには、被害者の死体解剖による所見だけでなく、事故当時の本件現場の状況、被告人車両の構造、損壊の部位、程度その他の客観的資料をもあわせて判断する必要があり、本件ではそれが可能ではないかと思料する」旨証言するところ、右のような検討を含め、被告人車の衝突の態様、その際の被害者の衝突の部位、程度などを明確にするためには被告人車運転席から採取した多数の毛髪(東京高等裁判所昭和五三年押第七六三号の一)が被害者のものであつたかどうかなどの点についてもなお鑑定等により明らかにする必要があるものがあると思料され、これらの点について、第一審にさらに審理を尽させることが相当であると認め、同法四〇〇条本文により、本件を原裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 千葉和郎 裁判官 永井登志彦 裁判官 中野保昭)

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